手順書作成を通して私が学んだ事〜細やかなポエムを添えて〜
手順書を作りながら、こう考えた。 難解過ぎては伝わらない。妙に凝りすぎては読み辛い。形式に囚われ過ぎては窮屈だ。 とかくに手順書は作りにくい。
あんまり上手く無かったですね。これからも精進していきたいと思います。AWS事業本部のしろたです。 ▲こちらはいらすとやさんの夏目漱石です。本当あそこ何でもあるな。流石に旧札は無かったです。
さて、今回話したい主題はもうお分かりですね?そう、手順書についてです。 初めて就職したIT企業でも手順書を作成する機会はあったのですが、今回また手順書を作成する機会を頂きまして、実際に自身が作った手順書をレビューして頂いて色々と思うところがありました。 今回はそれをゆるりと、自分の中の思考を整理する意味でも纏めていきたいと思います。
手順書の定義から入ってみる
まず、手順書とは何でしょうか。初めて行う作業や、誰かから引き継ぐ事になった作業を一人で行う場合には割とお目にかかるのでは無いかと思います。 手順書があれば、全く理解していないものでも、隣で熟練の経験者が手取り足取り教えてくれる時のように、作業が行えます。疑問に思う点や、注意すべき点は手順書内に指摘されており、手順書をきちんと読み解く事が出来れば「誰でも」「何回やっても」「同じように」作業が行えるのです。 そう。私の中での手順書の定義はまさにこれでした。
それを読めば、誰が何回やっても同じものが作成できる。
こう教わり、この考え方に共感し、これを守りながら手順書を作成してきました。 勿論、この考え方は今でも間違っていないと思っています。この手順書を用いれば誰でも自分と同じように動いてくれます。 自分の代わりになれるもの、という意味では手順書の理想形と言っても過言では無いかもしれません。 ただ、この考え方は完璧では無かったのです。そう気付かされた点について、今から考えていきましょう。
「誰でも」という思考は地に足がついていない
誰でも使える手順書。何もおかしくなさそうですよね。 でも、実際に手順書を使う人は誰でしょうか。本当に不特定多数の、様々な異なる人々なのでしょうか。 貴方は手順書を作成してくれと言われました。「お客様がこれを出来るように手順書が欲しいんだ」と頼まれています。 そう。そこには必ず、貴方の作った手順書を使う人がいます。 勿論それは一人とは限りませんが、大体は同じ会社・同じ部署・同じポジションと言った共通項の多い人たちである事が多いのではないでしょうか。 貴方が手順書を作って渡す相手は、全てが靄の向こうにある不特定多数の人間では無いのです。 「これは出来るがこれはよく分からない」「これがしたいのだが、ここが思うように出来ない」 そう言った、具体的な技術力や目的を持った人間が、貴方の作る手順書の向こうにはいる筈です。 「とにかく分かりやすく」「とにかく親切に」そう言った思考に囚われていた私は、これに気付いていませんでした。 読む相手をそれなりに想像していない手順書は、結局のところ誰に対しても程々の手順書にしかならないのです。 強いていうなら、手順書を作成した自分自身にとって最高の手順書になる可能性があるくらいです。 でも、手順書はそういうものではありませんよね。 誰が読んでも平均8割は理解出来る(強いて言えば自分は10割理解出来る)、それは手順書ではありません。 「やりたい事がある」相手が読んだ時、10割理解出来る。それが手順書なのではないでしょうか。
相手が見えると自ずと道は見えてくる
実は、手順書を作るに当たって、まだまだ気を付けたり意識しなければならない事は色々あります。 しかし、自分がどのような相手(たち)に対して手順書を作るかが見えてくると、様々なポイントに置ける答えが見えてきます。
手順書の粒度
相手がどのような知識を持っている人なのかが分かれば、どこを詳しく記述しておく必要があってどこはそれほど細かく記述しなくても良いのかが絞られてきます。 相手の想定が出来ていなかった頃の私は(今でもまだまだそうですが)、直感思考に拘り「画像」「色」「形」と言ったものに依る指示ベースでいつでも手順書を作っていました。 確かに、これは全くその作業どころかその分野の経験が無い人には凄く有用だと思います。 ですが、ある程度経験がある人には冗長に感じる部分が多いものになってしまいます。 初めて人であったとしても、何度も同じ画面を見せられているのに、何回も事細かに説明されるのは貴重な時間の無駄になってしまいます。 また、直感思考に重きを置いた手順書を作成する行為自体、時間を大きく消費するものであります。 困っている人を助けるのにスピード感が無い、これはこれで本末転倒では無いでしょうか。 ノートを丁寧に取りすぎて、板書のペースについていけなかった事はありませんか? その後誰かにノートを見せる事になった時にノートがそもそも完成していない、なんて事になったら全く意味が無くなってしまいます。
修正が入る事を意識出来ているか
手順書は、常に変更の必要性に追われます。永遠に変わらないシステムなんてありません。 そんな時、修正箇所が多いと大変になります。勿論、必要な変更・修正が多い事は致し方無いのですが、自分で修正箇所をわざわざ増やしてしまっていたりしませんか? 丁寧さは大事です。しかし、冗長さと丁寧さは一緒ではありません。 必要なものを必要なだけ、丁寧に。 修正が発生した際に、最もその手順書を必要としている相手がいる筈です。その人のところへなるべく早く、使える手順書へアップデートしたものを届ける事こそが一番大事な事なのでは無いでしょうか。
読み手の視線を意識する
これはあまり技術的な話ではありませんが、実際にその手順書が印刷されたりした時に読みづらくなってしまう事も好ましくない事です。分かりやすい例え話をすると、「漫画のコマ割り」でしょうか。 読む人がすんなりと理解出来るようなレイアウトになっていないと、予想外な齟齬が生じる可能性があります。 具体的な相手を想定して、にはあまり当て嵌まりませんが、自分の考えた手順が相手に齟齬無く伝わるような、簡易に順を追ってスムーズに読めるような手順書は良い手順書なのでは無いかと思います。
「相手」を絞り込むだけでも大分変わる筈
今まで、「これなら誰が読んでも使える手順書だろう」と自信を持っていた手順書。 実際に、読んで頂き意見を聞かせて頂いただけでも、至らない手順書であった事を知る事が出来ました。 誰にでも完璧に見える手順書は無い。 でも、様々な事に意識を向けて作れば、その手順書を必要とする人にとって完璧な良い手順書を作る事は出来る。 今回、そのような経験をしてアウトプットの大切さも学ぶ事が出来ました。 アウトプットして、多角的に見てもらい、様々な意見を取り入れながらより良いものを目指していく。 まさに、技術力の研鑽とメソッドは同じです。 クラスメソッドに入社して一ヶ月。毎日何かしら吸収するものがある日々を送っております。 今回は手順書の作成を通して貴重な学習の機会を得たので、これからもブログへのアウトプットや業務でのアウトプットを通して、より良いものを生み出していける人間を目指して行きたいと思います。